「ゼンデギ」は今の時代にぴったりの父子SF

ゼンデギ (ハヤカワ文庫SF)

グレッグ・イーガンの「ゼンデギ」を読了したのでレビュー。以下ネタバレあり。

序盤はちょっとしんどい。2章からスピードアップ。

イーガンの新作だ!と喜びながら読み始めてみるも、イランの民主化運動の話がひたすら続いてちょっとしんどくなってくる。著者の感心の高さがあるんだろうけども、あまり自分にとっては興味が薄い部分なので読み進めるスピードも遅くなり、重い重い。

一方で時代が変わり、父になったマーティンとゼンデギに関わり始めたナシムの話が始まると一気にスピードアップ。ここからは一気に読み進めることができました。

もちろん前半部分が無駄だということではなく、仮想人格が生まれてくるまでの考察や、異国人であるマーティンが暮らすイランという場所を思い描くためには必要不可欠。なので序盤がしんどい…と思った方も読み進めてみるが吉。

メインになる技術は「仮想人格」

今作のエッセンスになるのは、バーチャル空間に構成できる「仮想人格」。同じイーガンだと「順列都市」、国内だと神林長平の「帝王の殻」(こちらもまさに仮想人格を巡る父と子の話)が思い浮かぶ。

ただ技術的には実現されていない設定で、順列都市であったように完全アップロードは遠い夢という技術。年初にNHKの特集でも同様の話題を見たけど、今後リアルでもひとつのトピックになる話題なんだろうなあ。

親の記憶を残すということ

さて主人公のひとり、マーティンは妻を事故で失い、本人もガンによる余命を宣告され、残される幼い息子のために自分の仮想人格を残せないかと考えます。

まず考えてしまうのは、自分ならどうするだろうか?という問題。自分も父という役割を生きている以上、リアリティのあるテーマです。結論としては、やはり本作のように不完全なものを残してしまうのは避けるべきだろうということでした。

親が子に「価値観や人生観をどう伝えるべきか?」という問題について、現在のやり方としては手紙やビデオレターなどのただリピートするだけのメディアや、あるいは自分が感銘を受けた本や映画、音楽などの解釈の余地があるメディアを残すという方法があるかと思います。

一方で仮想人格はそれらとは完全に異質で、極めて直接的な方法で自身の価値観を伝えてしまう。コミュニケーションの可能性がある点で手紙とは異なるし、本などのように解釈の余地も大幅に削られてしまいます。

作中でも人格の再現性が大きな課題となっていたけれど、不完全なエラーを起こしうるものを幼い子どもに寄り添わせるのはとても怖いなと感じました。

じゃあ完全コピーならいいのか?という話になりますが、これについてももう少し考える必要がありそう。身体を持たない仮想人格がどう成長するのかといった身体性の問題や、子どもとのコミュニケーションの記憶をどう蓄積していくのかといった成長に関する問題があるように思えます。

同じ問題について、妻にも質問してみると「子どもが新しい家族を作れなくなりそう」とのこと。なるほど、その発想はなかった。バーチャル親と決別する時が来ず、それに依存してしまう可能性も確かにある。

精緻な描写と考察が光る良い作品

というわけで、ゼンデギは色々考えさせられるいい作品。またイーガンのこれまでの作品にも通じるように、専門的な知識を緻密に描くスタイルや、こうした社会的な動きがあるのではないかという考察が随所に書き込まれてます。

おそらくこれからこのテーマは色々議論されていくのでしょうが、その時のためのトレーニングとして読んでも面白いかもしれません。

 

===今日の寝かしつけソング===

あなたを保つもの:坂本真綾


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