「戦闘」シーンへの雄叫び
先日始まったアクエリオンロゴス。本編スタート前におまけで付いていたクロスオーバー作品を家族で見ていると、アクエリオン同士の戦闘シーンに息子(2歳)が大興奮。「あっ!おおー!」と雄叫びを上げる。
そういえば最近、他のアニメや特撮でも戦闘シーンを見ると大興奮。特に主人公がピンチの時なんかは「トテタタタタ!」と手を挙げて雄叫びをあげたりすることに気づく。
これらはこれまでには見られなかった行動。「戦闘」という概念が分かっているのかな、というところと彼の中に持ってる「戦闘」の概念はどんなものだろうとかんがえると色々興味深い。
2歳児にとっての「戦闘」
保育園なんかでは、おもちゃの取り合いなんかが出始めてるみたいで、自分の主張を通すために暴力(といっても相手を叩いたりとかはないみたい。押しのけたりする程度)を使うということはある程度ある様子。
また私たち親に対しても、要求が通らないと叩いてきたりといったことは1歳半くらいに発生。これは「叩いたらイヤよ」って繰り返したことで最近はほとんどしなくなる。
というわけで、2歳の彼にとっての争い・戦いのイメージはそうした目先の要求を通すための手段のひとつあたりだと定義しているのでは?と思う。そうした争いの概念が果たして彼が見るコンテンツの戦闘シーンとリンクしているかどうか、というのは定かではないけれど気持ちを鼓舞するべきシーンだということは理解できているみたい。
物語は多様な感情をトレースするための道具
私たちが消費する色んな物語のコンテンツが「面白い」と感じるのは、そこで描かれている状況をトレースすることが快感を生むといったことが理由の1つだと思う。マーケティングの世界でも、物語風に仕立てた消費への煽りは古典的かつ現代でも多用されるテクニックだ。
では「なぜ他者をトレースするのが快感になるか?」というところだけど、このあたりは経験値を得られるからというのが一番ではなかろうか。知識として得ることというのは人にとっての大きなモチベーションであるし、そもそも人が言語を発展させてきた理由の1つでもあると思う。
他方で教育という観点から見た場合、物語仕立てのコンテンツは他者の気持ちやシチュエーションをシミュレーションさせるのにとても有効な手段になる。物語の世界では没入することで誰にでもなることができるし、快感を伴うという点で本人にとっても「楽しいこと」になり得る。
物語の偏りと、メディアの種類
ただ注意しないといけないな、と思ったのは、まず幼少期に消費する物語に偏りが出てくるのは問題がありそうだというところ。ファーストガンダムが評価される部分に、ジオン側のヒーローであるシャアがかっこ良く描かれたり、戦う理由がしっかりと設定されている点がある。このようにただ一方向からだけでなく、多方面から解釈できるような仕掛けのある物語に触れる機会が必要だなというところ。
もう1つはメディアの種類。今は物語の消費方法としてはテレビと絵本、ちょっとだけ歌というあたり。今後はマンガや活字、演劇、また同じテレビでも映画など多用なメディアにも触れる機会が必要だなというところ。メディアはそれぞれに特性があるから、それらのアドバンテージを意識した上で消費する必要がありそう。私は全く分からないけど、詩とか俳句とかも物語を凝縮する手段の1つですね。おじいちゃんおばあちゃんの昔話とかもそうか。
というわけで、「戦闘」から他の概念へ
というわけで、気づきやすかった「戦闘」概念の理解を経て、新しい他の概念も理解してもらうステージが本格的に来たのかなというところ。設定がゼロの子どもと一緒に暮らすっていうのはそういう面白さがあるなあ。
===今日の寝かしつけソング===
デイドリームジェネレーション:馬渡松子